『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』「月が綺麗ですね」の意味に萌えた(感想&結末ネタバレ)

映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』鑑賞。

「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています どういうことなのでしょうか」という知恵袋への投稿がコミックエッセイ化。からの、映画化。

「何で死んだふり?!」と興味をそそられるタイトルにつられて見ました。

クオリティの高い「死んだふり」のレパートリーは見ていて面白かったし、作中でヒロインが頻繁に言うセリフ「月が綺麗ですね」の意味がわかった時は萌えました。

あんな文学的なやりとりしてみたい!

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『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』あらすじ

結婚3年目を迎えるサラリーマン・じゅん(安田顕)が仕事から家に帰ると、妻のちえ(榮倉奈々)が口から血を流して倒れていた。

じゅんは慌てて救急車を呼ぼうとするが、血はケチャップで、死んだふりをしていただけだった。

死んだふりをした理由を言わず、ただ楽しそうに笑う妻。

ちえはその日以降、ワニに食われる、銃に撃たれる、頭に矢が刺さっているなど、毎日死んだふりをしてじゅんの帰宅を迎えるようになる。

最初は冷静だったじゅんも、妻の執拗な死んだふりに不安を感じるようになり、「死んだふりはやめて欲しい」と懇願するが・・・

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』感想(結末ネタバレあり)

死んだふりのクオリティがとにかく高い

顔面蒼白で口から血を流して倒れているふりも、頭に矢が貫通しているふりも、ワニに食われているふりも、どれも本物に見えるほどのクオリティ。

宇宙人に解剖されそうになっている設定も遊び心あって面白いですね。

僕が1番好きだったのが、大量の矢に刺された落ち武者。

夫のじゅんがノリノリで「この仇は必ずうちますー!」と叫ぶ横で、笑いをこらえながら死んだふりを続けているのがなんとも微笑ましかったです。

「月が綺麗ですね」の意味に萌えた

夫のじゅんはバツイチで、前の奥さんとは3年で別れました。

何か原因があった覚えもなく、ある日突然家からいなくなってしまったんです。

それがじゅんのトラウマとなり、ちえと結婚する際には「結婚して3年したら、夫婦でい続けるかお互いの気持ちを確かめよう」と約束をかわしています。

そして、妻が死んだふりを始めたのが結婚して3年を迎える時期だったため、「妻の死んだふりには何か意味があるはずだ」とじゅんは真面目に考えます。

自分のことを今も変わらず好きでいてくれているのか?なぜ死んだふりを始めたのか?

妻に聞いても「月が綺麗ですね」とはぐらかされます。

じゅんの出かけにキスをおねだりするくらいですから、ちえはじゅんのことが大好きなはずなんです。

毎日クオリティの高い「死んだふり」をするのだって、よっぽど好きな相手じゃないと続かないし(笑)

それでも、じゅんが自分への気持ちを妻に聞いても「好き」とか「愛してる」とは言わない。

その謎は終盤で分かります。

ちえの実家で見つけた文学の本を何気なく見たことで、じゅんはちえの気持ちを理解します。

ちえが何度も言っていた、「月が綺麗ですね」というセリフ。これは、夏目漱石が「I love you」を日本語に訳したものだったんです。

昔の文豪ってロマンチックですね。それかめちゃくちゃシャイか(笑)

だから、ちえの言う「月が綺麗ですね」は、「愛しています」という意味。

ちえはちゃんとじゅんへの愛情を伝えていたんですね。

そのことを知ったじゅんはラスト、ちえに「死んでもいい」と言います。

この「死んでもいい」は、二葉亭四迷がロシア文学を訳したときに、情熱的なアプローチに対して女性が返したセリフを訳したもの。

直訳すると「あなたのものです」となるロシア語を、「死んでもいいわ」と訳したそうな。

どいつもこいつもロマンチックがすぎるぜ(笑)

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というわけで2人は、結婚3年目を迎えるも互いに思いあっています。

そこで改めて疑問に思う。なぜ、ちえは死んだふりを毎日したのか。

映画のラストでちえが「私がなんで死んだふりしてたか、わかった?」とじゅんに聞くも、風が強く吹いてじゅんが何と答えたかは聞こえません。

じゅんが答えたあと、ちえは満面の笑み。どうやら、じゅんの回答は大正解だったようです。

めでたしめでたし。

じゃねーわ!2人で盛り上がってないで観客にも聞かせてよ!と、仲間はずれにされたようなフィニッシュでした。

恐らく、「なぜなのかは、観客の感性にゆだねます」ということなのでしょう。

ここからは、僕なりの見解を述べようと思います。

ちえは何故、死んだふりをしたのか?(個人的考察)

映画の中盤で、ちえの父親が倒れ、病院にいる父親の元を2人で見舞います。

そこで、ちえの父親がじゅんに話し始めます。

「ちえが泣いているのを見たのは、ちえの母親が泣くなった時以来。

母親が亡くなった時は、2人でやっていけるか不安で、ちえと心中することも考えた。

悲しみにくれていた中、ある日から、ちえが忍者の姿で隠れて父親の帰りを待つようになった。

その姿を見て、何だか笑えてきたんだ」

変装して父親の帰りを迎えることで、ちえは父親を励ましていたんですね。

なので夫のじゅんに対しても、結婚3年目で不安を感じているじゅんを励ますために死んだふりをして笑わせ、励まそうとしたのだと思います。

いやいや、「大丈夫、愛しているよ」ってわかりやすい言葉で言ってあげればよかったじゃん、とも思いますが、これもちえの信念なんです。

途中、じゅんの後輩の妻がちえに、「不妊治療が上手くいっていない」と悔しそうに胸の内を吐露したとき、ちえは「何も言ってあげられずごめんなさい」と答えます。

それに対し後輩の妻は「適当に励まされるより全然良い」と微笑みます。

ちえは言います。「言葉の優しさって、かえって人を傷つけてしまうから」と。

ちえは、安易に言葉で人を励ますことが好きじゃないんです。

言葉で励ますのではなく、相手が思わずフッと笑顔になるようなことをしてあげたい。そんな女性なんだと思います。

だから、じゅんに対しても、「愛してる」の言葉で安易に済ませたくなかったのではないかと僕は感じました。

わかりにくいけど、味わい深い愛情です。

最後に

愛情の示し方って、色々な形があるんだな・・・と感じた作品です。

「言葉の優しさって、かえって人を傷つける」

今まで苦しい思いをしている人を言葉で励ましがちな僕でしたが、これからは安易に言葉を発しないよう気をつけようと、自分を省みる良い機会にもなりました。

また、好きな相手にいつか、「月が綺麗ですね」をいつか使ってみようと思っています。

多分、気づかれないだろうけど(汗)

「月が綺麗ですね」(=愛しています)

「死んでもいいわ」(=私はあなたのものです)

こんな文学的なやりとりがあることを知れたのも、嬉しい発見でした。

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