トランスジェンダーの僕が映画『ナチュラル・ウーマン』を見た感想(ネタバレあり)

『ナチュラル・ウーマン』鑑賞。

予告↑↑を初めて見た時に、主人公は完全に女性だと思ってたら、元男性のトランスジェンダーであることに驚きDVDを借りました。

「女性として扱ってあげて」というセリフが無ければ絶対気づかなかった!

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『ナチュラル・ウーマン』あらすじ

トランスジェンダーのマリーナは、年の離れた恋人・オルランドと暮らしていた。

彼女の誕生日を2人で祝い熱い夜を過ごした翌朝、オルランドは体調を崩し病院へ行くも、そのまま帰らぬ人となってしまう。

一人残されてたマリーナは、オルランドの家族から偏見の目を向けられ、葬式に行くことすら禁止されるが・・・

『ナチュラル・ウーマン』感想

まず思ったのが、マリーナが普通にきれいな女性にしか見えないこと。

同じく女性のトランスジェンダーを扱った日本映画『彼らが本気で編むときは、』では生田斗真が元男性の女性を演じていて、すごく女性らしい演技だなと感じたのですが、『ナチュラル・ウーマン』の主役にいたってはもはや演じているようにも思えなかったです。

まさしく「ナチュラルな女性」にしか見えない。

なんて思ってみてたのですが、どうやらマリーナを演じた女優自身(ダニエラ・ベガ)がトランスジェンダーなんですね、納得。

思えば、トランスジェンダーの役をトランスジェンダー当事者が演じている映画には初めてお目にかかりました。

やっぱり当事者が演じたほうが自然ですね、当たり前ですけど。

物語はマリーナの誕生日を2人で祝うところから始まります。

オルランドはマリーナへの誕生プレゼントとして、イグアスの滝へのチケットを用意したものの紛失。

「イグアスの滝へ行ける券」と書いた手紙を書いた手紙をおちゃめな顔でマリーナにプレゼントします。オルランド、ちょっと可愛い(笑)

クラブでライトに照らされゆったり2人で踊るシーンがとても美しい。

家に帰ったら帰ったで熱々の時間を過ごす2人に、性別や年の差は何の意味もなしません。

ほっこりしていたのも束の間、夜明けにオルランドが「体がおかしい」と言い出し、あっけなく亡くなってしまいます。

それまでの幸せそうなシーンから一転、マリーナはトランスジェンダーであることを理由に、オルランドの息子や元妻から理不尽な扱いを受けます。

「変態」「バケモノ」

トランスジェンダーをさげすむ言葉ってだいたい決まってますね。

ちなみに僕もトランスジェンダーです

ちなみに僕は、マリーナとは逆パターンの元女性の今男性です。

今のところ、「変態」とか「バケモノ」なんて言われたことはありません。

自分がトランスジェンダーであることをカミングアウトすると、だいたいの人は「元女性?・・・そ、そうなんですか・・・」

ってな具合で相手が困っちゃうんですよね。「会ったことが無いからどう反応すればいいか分からない」って人、けっこう多いみたいです。

そういった経験から、相手を困らせちゃうのを分かっているので、必要を感じなければ元女性であることをむやみに人には言わなくなりました。

「女→男」の場合は、ホルモン治療で見た目も声も男性化するので、「華奢で中性的な男性」としてわりと社会に溶け込めます。

(もちろん、大きくてマッチョな男らしい当事者もいます)

一方マリーナのように「男→女」のトランスジェンダーの場合、出来上がってしまった男の骨格と低い声を女性化させるのは難しいわけで、望む性別で社会に溶け込む難易度が一気に高まるのではないかと思います。

「女→男」のトランスジェンダーよりも、望みの性別で生きることへの覚悟もそうとう必要なんじゃないかと。

オルランドの元妻や息子たちのマリーナへの扱いは常軌を逸してますけどね。日本じゃあそこまで無理解な人ってまれだと思います。

頭の固いお年寄りは難しいかもしれませんが、特に今の若い人だと、LGBT(性的少数者)の人間が周りにいるのが普通になってきてるんじゃないかな。

すみません、話が映画からそれましたね(汗)

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マリーナから感じる「負けない」強さ

オルランドの息子達からの心無い罵倒、元妻からは「7歳の娘のためにも葬式には来ないで」と拒絶されます。

捜査官までもが、「あなたのような人(トランスジェンダー)のことはよく分かっている」と言いながらも理不尽な身体検査を強制し、マリーナの体に好奇心のような視線を向けてくるからタチが悪い。

「なんもわかってねーじゃん」て。

それでもマリーナは強かった。

マリーナにとって、偏見の目にさらされることは想定内。それでも立て続けに理不尽な目に会うもんだから憔悴します。

「困難が人を強くする」「乗り越えられる」と自分を鼓舞し、決して下を向きません。

いつものように、颯爽と町を歩きます。

ただ、譲れないもののためにはマリーナも牙をむきます。

オルランドと一緒に可愛がっていた愛犬を奪ったバカ息子が許せず、バカ息子達の車の上に登って、「犬を返せ」と蹴りを入れるシーンは迫力ありました(笑)

目力はんぱないっす。

「泣き寝入りなんてしないからな!」という、絶対負けない意志をびしびしと感じました。いや~かっこいいです。

オルランドが残したサウナのロッカーキーを手に、女性サウナから男性サウナに移動するシーンはインパクトがすごいですね。

女性として胸までタオルを隠してサウナに入り、職員の隙を見て男性用サウナに移動。そこではタオルは腰までで、上半身裸でロッカーまで行きます。

トランスジェンダーを象徴するような印象的なシーンでした。

最後に。ロッカーの中身は結局なんだったのか?

オルランドが残したロッカーキーで、サウナのロッカーを開けたマリーナ。

ロッカーには何が入っていたのか、もしくは何も入っていなかったのか、中身は真っ暗で曖昧なシーンでした。

「鑑賞者の想像にお任せします」ってな感じですかね。

僕は、ロッカーは空だったと思います。

オルランドは予想外の突然死ですから、マリーナへ何かを用意しているということは考えられません。

また、物語冒頭でイグアスの滝へのチケットをオルランドが紛失していたことからチケットが入っていたことも考えられますが、そうであればマリーナがイグアスの滝へ一人行くシーンがあってもいいのに無かったので違うかなと。

何も入っていなかったらこそ、マリーナの中で気持ちが吹っ切れ、新しい道(オペラ歌手)を歩みだしたと捉えました。

ラストのマリーナの歌も素敵でした。

昔の映画のように、トランスジェンダーが悲劇で終わる話はもう時代に合いません。マリーナのように「私は私」でいいんですよね。

同じトランスジェンダーの当事者として勇気をもらえる作品です。

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