『127時間』それでも生きたい・・・壮絶とはこのことだ(ネタバレ感想)

映画『127時間』(原題:127hours)鑑賞。

物語の舞台のほとんどが、地面の間の狭い空間にも関わらず、スケールの大きさを感じさせる大作でした。

「人は1人きりでは生きていけない」ということを、悲観ではなく謙虚に思うことが出来る作品です。

 

基本情報

監督は、『トレイン・スポッティング』『スラムドッグ$ミリオネア』『28日後・・・』でおなじみの、ダニー・ボイル監督

原作は、登山家のアーロン・リーラルストンの自伝「奇跡の6日間」

主演は『スパイダーマン』の親友役で有名なジェームズ・ブランコが演じている。

 

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映画『127時間』あらすじ

登山家のアーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、アメリカ・ユタヤ州のブルージョン・キャニオンにやってくる。

慣れた足取りでロッククライミングをしている途中、落石事故に会い、右腕を断壁と岩に挟まれ、身動きが取れなくなってしまう。

助けを呼ぶ術もなく5日間がたち、水も食料も尽き死を真近に感じたアーロンが取った行動とは・・・

『127時間』感想

『127時間』というタイトルからして、127時間後に何らかの方法で助かることは確実。

その上、amazonレビューでは「痛そう」「終盤グロい」との感想があり、主人公が助かる方法はどう考えても1つ。

そう、挟まった腕を切り落とすこと。

かなり生々しく、本気で直視できませんでした。特に、神経を切るシーン。映画館で見てたら、目だけでなく耳もふさいでいたことでしょう。

腕を切っている間、「気を失うな!」と主人公は自分に言い聞かせていましたが、見ている僕の方が気絶しそうでしたから(笑)

しかもこれは実話。もし、自分が同じ状況になったら主人公と同じことが出来るだろうか、と考えずにはいられません。

僕にはとても無理です(汗)

本人へのインタビューでは、「両親や友達に会いたいという気持ちが力になった」と言っています。

動物としての本能として「生きたい」という生への執着だけでは、もしかしたら腕を切断してまで生きようとは出来なかったのかもしれません。

水も食料も無くなり、死も真近となった時に見た、将来出会うはずの自分の子供の幻覚。

その子の姿に突き動かされるように、アーロンは腕を切り取る覚悟をすることになります。

絶望的な状況で生きることを諦めないためには、「生きる意味」みたいなものが必要なんでしょうね。

そして、生き抜くためには、人との繋がりが必要不可欠であることも、この映画を見て感じました。

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そもそも、アーロンが自分の行き先を誰かに伝えていれば、腕を切らずとも助けが来た可能性が高いわけで。

それをアーロンは誰にも行き先を告げずに来てしまった。出発前に母親から電話が来ていたにも関わらず、それにも出ないで。

「自分のことは自分で解決できる」というアーロンの自信は、大自然の中では何の意味もありませんでした。

そしてアーロンは、この事態は人とのつながりを軽視した自分が招いたことなんだと悟ります。

「俺の人生は生まれて以来、毎日のあらゆる行動がここへと繋がっていた。この大地の割れ目へと」

腕を切り落とし、岩から脱出出来て安心する余裕もなく(早急な傷の手当が必要)、偶然通りかかった家族連れに助けをこいます。

アーロンが最後の力を振り絞って叫んだ「Help me」

鳥肌が立ちました。

人は1人じゃ生きていけないこと、人とのつながりが生きる力になるということを感じさせられた濃密な一本でした。

最後に

どうしてもこの作品の感想として、覚悟を決めた主人公が自分の腕を自分で切るシーンの凄まじさを語らずにはいられないわけですが、そこに行き着くまでの演出も見ごたえがあり、ラストも爽快感を感じ、後味は良い感じ。

自分の腕を切り取り、127時間閉じ込められた場所に、主人公が去り際に行ったセリフが「ありがとう」だったのが、とても印象的でした。

助かったことに対しての感謝なのか。死を真近に感じたことで大切なことに気づかせてくれたことに感謝なのか。主人公がどういう気持ちで「ありがとう」と言ったんだろうと気になります。

「あーもう人付き合いめんどくさい!家族すら鬱陶しい!」と思ってしまう時に見ると、謙虚になれる映画だと思います。

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