12月に入り、クリスマスの気配を感じると聞こえてくる、
「今年のクリスマス、ひとりぼっちで過ごすことになるんだろうな」という心の声。
ひとりぼっちのクリスマス。略してクリぼっち。
特に都心なんかだと、イルミネーションも華やかになり、ひとりでクリスマスを過ごすことが「寂しい」ことのように感じてしまいがちです。
「クリぼっちは寂しい」と毎年のように感じていました。
そんな僕でしたが、かつて付き合っていた元カノが発した一言で、クリぼっちが寂しいとは微塵も思わなくなりました。
今回は、そんな体験のお話です。
スポンサーリンク
初めての彼女の一言で、「クリスマスぼっちは寂しい」という思い込みから解放された話
それは、初めて彼女が出来た年。
12月に入り、彼女がいる初めてのクリスマスに誇らしいぐらいの喜びを感じていました。
「やっと、念願の熱々のクリスマスを過ごせる」
彼女をどこでどうやって過ごそう?
「やっぱ夜景と美味しいディナーは欠かせないよな」
「ホテルで2人、スパークリングワインで乾杯かな」
なんて、何のひねりもない計画を考えていました。
そんなある日、当時付き合っていた元カノの発言により、「クリぼっちは寂しい」「クリスマスは恋人と最高の時間を過ごすイベント」という洗脳から解き放たれることとなります。
それは、何の脈絡もなく電話口で彼女から発せられました。
「24日さ、クリスマスだからって、わざわざ会わなくていいよね?人混みめんどうだし」
クリスマスのクの字もっちから発していないのに!と気分は撃沈。
クリスマスは、それぞれの時間を過ごすこととなりました。
お互い仕事もあり、電話で会話すらしなかったと記憶しています。実質クリスマスぼっち(笑)
「クリスマスだからって、普通の日と何の代わりもないじゃん」なんて考え方があることは重々わかっていました。
でもそれは、クリスマスを一人で過ごすことに悔しさを覚える人が、強がりで言う言い訳だと認識していたもので・・・
まさか恋人から言われるとは、想像すらしてませんでした。
一応、言っておきますが、彼女の気持ちが冷めていたということは無いです。
クリスマスは会いませんでしたが、年末に熱々の2人の時間を過ごしましたから(照)
その体験から思いましたね。
「クリスマスって、大したイベントじゃないじゃん」て。開き直りの境地ではありますが(笑)
スポンサーリンク
「クリスマスは恋人と過ごす日」という風潮、は雑誌の特集により根付いたもの
1960~70年代まで、クリスマスは子供中心のイベントでした。堀井憲一郎著『若者殺しの時代』(講談社現代新書)によれば、当時、日本人にとってはクリスマスよりも「お正月」の方が大事だったのです。
クリスマスが今のように「恋人の日」となったのは、1983年の雑誌『an-an』がきっかけです。同誌には1983年12月、初めて「クリスマス特集 今年こそ彼の心(ハート)をつかまえる!」と題した特集が掲載されました。イヴの夜は彼氏とシティホテルに泊まって、翌朝はルームサービスを取りましょう、という内容です。
出典:ウートピ
雑誌『an-an』を筆頭に、男性むけの雑誌にもクリスマスを恋人と過ごすための特集が組まれ、「クリスマス=恋人と過ごす日」という風潮が根付きました。
結果、「クリスマスに恋人と過ごさない自分は社会の中で浮いている」という感情を抱かせてしまうこととなったのでしょう。
アメリカの映画を見ると分かりますが、クリスマスの本家・アメリカでは、「クリスマスは家族と過ごすもの」なんですよね。
アメリカ人にとってのクリスマスは、日本では「大晦日とお正月」の感覚。
まさか、雑誌の特集の影響で「クリぼっち」が寂しい思いをしている(と思わされている)とは・・・
当時の雑誌の影響力に驚きです。
最後に
ちょっと激しい言い方になりますが、「クリスマスぼっちが寂しい」と思ってしまうのって、「クリスマスは恋人と過ごす日」だと洗脳されていることが原因です。
「クリスマス?ここは日本だし、キリスト教徒でもないんだから関係ないじゃん」という考えは、ほんとその通りです。
クリスマスを特別な日にしたのって、企業が消費者の財布をゆるませる戦略といっても過言ではないかと。
付き合っている相手に「クリスマスは関係ない」って言われると、一気に目が覚めますよ(笑)
今ではもはや、クリスマスの時期に家の大掃除を済ませて、年末をゆったり過ごすほうが個人的に幸福度が高いです。
もちろん、世の中の風潮に乗っかって思いっきりクリスマスを楽しむのも当然ありだと思います。楽しいのが1番ですもんね。
ただ、「クリスマスまでに恋人作らなきゃ」って頑張っている人は、ただ周りの雰囲気に踊らされているとしか思えませんけど(汗)
スポンサーリンク
最近のコメント