「痩せたよね」←褒め言葉のつもりでも、相手の心が傷つくこともある

どうも、与楽です。

最近、「言葉」の扱いって本当に大事だなと思った出来事がありました。

悪意のある言葉はもちろん相手を傷つけますが、褒めたつもりの言葉でも相手によっては深く傷つけてしまうんですよね。

特に人の外見に関しての言葉は、極力避けたほうが良いと学びました。

今回はそんなお話です。

スポンサーリンク

「痩せた?」は褒め言葉とは限らない

この言葉を言われて傷ついた人物は、僕の母親です。

還暦を迎えた母は、若い頃から細身の体を目指しダイエットをしてきました。

元々少しぽっちゃりしており、「痩せたい」と口ぐせのように言っていた母。

「それなら『瘦せた』は褒め言葉なのでは?」と思われるかもしれませんが、実際言われた母はその言葉に傷つきました。

その理由は、現在の母がうつ病っぽい精神状態だからです。

何もやる気が起きず、食べるということも少し億劫になっている様子で、食欲もありません。

当然そんな日が続けば体の肉は落ち、瘦せます。

瘦せることを望んでいた母ですが、問題は瘦せ方にありました。健康的に瘦せたのではなく、「げっそりした」という表現があっている状況です。

そんな母は久しぶりに会う人会う人に「すごく瘦せたよね?」と言われ、そのことをひどく気にしているようで。

「そんなに私、瘦せちゃったかな?大丈夫かな?」と不安感を募らせています。

久しぶりに母に会う方達は恐らく、母がうつっぽい状態であることを知らない人が多く、思わず思ったことを伝えただけです。

しかも母は「瘦せたい」願望があったわけですから、どちらかといえばプラスの意味で言ったんだと思います。

おおざっぱで大らかな性格の母がうつ病なんて、家族ですら予想だにしていなかったこと。

うつ病は心の風邪で、どんなに元気な人でもなる可能性のあるものだと言う事を改めて感じました。

スポンサーリンク

言葉の受け取り方は人によって、そして状況によっても変わってしまう

このことで、「言葉」に対しての意識が変わりました。

「瘦せた」とか「瘦せている」という言葉に対しても、小食で太りたくても太れない人も言われて嫌だろうし、母のように不健康な瘦せ方をした人にとっても心に刺さる言葉です。

「私、今ダイエットしてるんだ」と目の前で言われた場合など、明らかに今のその人にとって嬉しい言葉だと確信が持てなければ口にしない方が良い言葉ではないと思います。

ちなみに「目が大きいね」も褒め言葉とは限らない

これは僕の話です。僕の目、大きいんです。あまり自覚はないのですが、子供の頃から耳にたこが出来るほど言われてきたので、間違いなく大きいんだと思います(笑)

目が小さめな人からすれば、「目が大きくてうらやましい」となるんでしょうが、正直僕は嬉しい言葉ではありません。

相手の言い方から「どうやら褒めてくれているんだな」と思えば、その気持ちは素直に嬉しいですが「目が大きい」という言葉自体は褒め言葉では無いと思っています。

というのも、子どもの頃この大きな目をいじるように「メガネ猿」と言われたことで傷ついた記憶があるから。それを言った相手の、バカにしたような薄ら笑いも覚えています。

まあ今は、人の見た目をどうこう言う人ほど低俗な奴はいないし、相手にもしないんですが子どもの頃受けた心への衝撃はなかなか無くなりませんね。

人の外見をどうこう言うのは避けたほうが良い

僕の例も紹介させてもらいましたが、褒めたつもりの言葉が相手にとって嬉しいとは限らないです。

気にかけるべきは内面の状況ではないかと。

例えば久しぶりに会った友人が明らかに瘦せていたら、ぐっと言葉を飲み込んで相手の状況を聞くことが先決。

瘦せたくて瘦せたのか、心身の不調で瘦せてしまったのか分かりませんからね。

まとめ

あまり言葉に対して神経質になっても良くないですが外見(特に体系)に関しては、わざわざ言葉にしなくたって支障ないんですから言わないほうがいいかと。

「沈黙は金なり」なんて格言もありますし。

ご参考までに。

スポンサーリンク