愛犬が可愛すぎる、辛い・・・(とある愛犬家の独白)

我が家には9歳になる愛犬(トイプードルの女の子)がいる。

可愛い、可愛すぎる。同じ地球上の生物だと思えないくらい可愛い。

大事な物をおもちゃにされて壊されようが、食べ物を前にした時だけしか言う事を聞かなかろうが、どんな粗相をして困らせてこようが、可愛くて可愛くてたまらない。

いつも思う、この子は愛されるために生まれてきたのだ。

そして断言しよう。「可愛いは正義」だ。

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そういえば昔付き合っていた彼女に、「〇〇(愛犬の名前)ちゃんと私、どっちの方が好き?」と聞かれたことがある。思わぬ難問に真剣に考え込んでしまい、ブチ切れられた。

彼女としては、あまりに犬バカな僕に冗談で軽く聞いただけで、真剣に考え込んだ僕に苛立ちを覚えたようだ。

彼女と愛犬、どちらが好きか。そんなことは考えるだけ無駄だ、比べるものではない。愛犬への愛情は別次元なのだから。比べる行為に違和感しかない。

分かってる。そんな耳を疑うような質問をさせてしまった僕に原因があるってことは。

 

これを書いている今も、隣で愛犬はうとうとしている。やばい、とろけそうだ。

そんな可愛すぎる愛犬の姿を披露したいのはやまやまだが、画像を載せるとその可愛すぎる姿ゆえに「誘拐しようなどという人間が現れるかもしれない」と心配して夜も眠れなくなりそうなのでやめておく。

何を言ってるんだ僕は。ここまでくるとただのイタい変人ではないか。

そんな犬バカにとって、ふと頭をよぎることがある。それは、いつかはお別れの時がくるということだ。一緒にいられなくなることだ。想像しただけで辛い。辛すぎる。

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先のことは考えてもしょうがないのは十分承知で、それでも頭をよぎるのだから仕方が無い。

そんな時は、とにかく愛犬を抱きしめる。その毛深い体の温かさをかみしめる。たとえ愛犬に顔を背けられようが嫌がられようが関係ない。

たった今、生きて存在してくれていることに感謝する。それしか出来ない。でもそれは至福の時間だ。

考えたくはないがいつかその時が来た時、悲しみの涙だけでなく「一緒にいてくれてありがとう」と感謝の言葉で見送ってあげられるように、一緒に過ごせる今を大切に生きていこう。

恐れなければならないのは「もっと~してあげればよかった」と後悔することなのだ。

これからたくさん一緒に昼寝しよう。気持ちいい風と緑の中で、土の上を一緒に散歩しよう。たくさん「好き」の気持ちを君に伝えよう。

君にとって幸せな時間が一分でも一秒でも多く過ごせるように、出来る事は何でもしよう。それが、僕にとっての幸せな時間でもあるんだ。

聞き飽きたろうけど何度でも言うよ。君のことが、大大大好きだ。

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