フランスのストップモーション・アニメ映画『ぼくの名前はズッキーニ』鑑賞。
フランス映画は情緒的すぎて心に余裕がある時しか手に取らないのですが、ストップモーションアニメが大好物のため気になり鑑賞。
1時間ちょいの短い映画にも関わらず、悲しくも優しさにあふれた作品で心癒されました。
クレイ・アニメーション(人形を粘土で作ったストップモーションアニメ)でも、フランス人が作成するとおしゃれな雰囲気に。さすがおしゃれ大国・フランスです。
フランス語だと、下ネタすらもおしゃれに聞こえるからずるいです(笑)
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映画『ぼくの名前はズッキーニ』あらすじ
ビールばかり飲む母親と2人で暮らしていた9歳の少年・ズッキーニ(本名イカール)は、とある事故で母親を亡くし、孤児院へひきとられる。
ズッキーニが新しく暮らすこととなった孤児院には、それぞれ複雑な事情により親と暮らせなくなった子供たちがいた。
悲しみを抱えた仲間たちとの楽しい時間、ちょっとスリリングな救出作戦、初めての恋。
母親を恋しく思いながらも、仲間達との日々に希望を見出すズッキーニ。
「ずっとみんなと一緒に暮らしたい」
そう願うズッキーニに、仲間達との別れが訪れる・・・
『僕の名前はズッキーニ』感想
物語はかなりヘビーな始まりです
1日中ビールを飲み、不機嫌な母親は、恐らく若い女に夫をとられた様子で、不穏な空気で映画は始まります。
母親が飲み干したビール缶を集め、暇つぶしをするようにビール缶を積み上げるズッキーニ。
うっかり積み上げたビール缶タワーを崩して大きな音を立ててしまうことで母親が激怒。
不幸なハプニングにより母親を亡くすことで、物語りは静かに、そして残酷に幕をあげます。
重い・・・かなり重い空気感。
あまりにもあっけなく母親を亡くしてしまったズッキーニは現実を受け止められず、孤児院で暮らし始めた頃は母親を恋しがります。
「ズッキーニ」という愛称は、母親が自分を呼ぶときの名前。
9歳の少年は、本名である「イカール」と呼ばれることを拒み、母親が自分を呼ぶ愛称「ズッキーニ」にこだわります。
辛い・・・愛してくれなかった母親を恋しく思い、母親が飲んだであろうビール缶を形見として大切にするズッキーニがいたたまれないです。
これ、普通に人間で撮影したら重過ぎて見ていられないかもしれない。粘土の人形達が話を展開していくことで事の深刻さが和らいでいました。
粘土で作られた人形が、生身の人間よりぬくもりを感じさせるんですよ。
重い雰囲気で始まった物語は、舞台が孤児院に変わったところから明るい雰囲気に変化。
とはいえ、親が薬物中毒だったり、精神病だったり、犯罪者だったりする子供たちなので、どこか切ないんですけどね。
最初はガキ大将にいじられますが、同じ痛みを持つもの同士、次第に打ちどけていきます。
夜な夜な少年達でかわされる男女の営みへの好奇心がまた可愛らしいです。
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1番印象的だったシーン
孤児院の先生がスキー場に子供たちを泊まりで連れて行きます。
楽しく遊ぶ子供たちの近くに、中むつまじい親子がいました。
転んだ子供を母親がいたわる姿に、一同目がくぎづけ。
彼らにとって「転んだ子供を母親がいたわる」というのは当たり前のことではなくて、でも1番望んでいること。
施設の先生や、優しい警察官の愛情に囲まれてはいるものの、やっぱり1番欲しいのは母親の愛情なんですよね・・・
その羨望の眼差しに胸が締め付けられます。
この映画、とにかくセリフや映像よりも、目や表情で語らせている印象を受けます。
冒頭でズッキーニのお母さんに降りかかった不幸も、その事故を直接見せるのではなく、その光景を見るズッキーニの目を映すことで表現しています。
そのこともあって、一時間という短い時間の中でこんなに感情を揺さぶられたのかもしれません。
最後に
この作品、原作がありますね。
大人向けに書かれた原作を、映画では子供も楽しめるように作られたんだとか。
ヘビーな物語を、子供も楽しめるアニメーションとしてここまでのクオリティで、しかもたったの60分の作品にまとめあげるクロード・バラス監督の手腕に脱帽です。
アメリカのスタジオライカのストップモーション・アニメもそうとう作り込まれて圧倒されますが、それともまた違った次元で圧倒的なクオリティでした。
作品全体のセンスを感じる色使いや、人形の繊細な感情表現が秀逸すぎて、これはフランス人ならではの感性によるものなのかな?と勝手に思ったり。
クロード・バラス監督にとって『ぼくの名前はズッキーニ』が初めて手掛けた長編アニメだったようで、恐らくまた作品を作られると思うので、次作も楽しみです。
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