キャロラインでもココラインでもなく、コララインだよ!そこんとこよろしく!
なんと、僕の大大大好きな映画『ナイト・メア・ビフォア・クリスマス』と同じ監督(ヘンリー・セリック)作品!
これは見るしかないっしょ。と思い鑑賞した次第であります。
ティム・バートン原案の『ナイト・メア・ビフォア・クリスマス』ほどの不気味さやキャラの濃さはありませんが、独特の世界観がたまりませんね。
ダークファンタジー好きは必見の作品。そうでなくても映像がとてもキレイで惹きこまれるし、人形の動きに味があって、子供から大人まで楽しめること間違いなしです。
ただですね、児童文学が元にはなっていますが、なかなか怖いです。決してホラーではないんですけどね。
いや、ぎりぎりホラーかも(笑)
普段ホラー映画を見慣れている僕でも、怖いと思いましたから。とはいえ、血が出るわけでもなく、人が殺されるでもなく、最後は一応ハッピーエンドですから、ホラー苦手でも大丈夫ですよ。
ん?それなのに怖いと思わせるって・・・この映画すげーな!
何だ、何が怖いんだ?と考えたところ、分かりましたよ、怖さの正体。
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■目次
映画『コララインとボタンの魔女』あらすじ
11歳の少女コララインは、仕事に忙しい両親にかまってもらえず退屈な毎日を過ごしている。
引越ししたばかりで友達もいなく時間を持て余していたコララインは、暇つぶしに家の中を探索していると小さな扉を見つける。
その扉の先は、コララインを楽しませてくれる、もう1つの世界だった。
コララインの願いを何でも聞いてくれるパパとママ。花が咲き誇る幻想的な庭。心躍るサーカスやショー。
もう1つのその世界は、コララインにとって夢のような理想の世界だった。ただ1つ、その世界に住む人々や動物の目が、ボタンだということを除いては。
「ずっとここにいてもいいのよ」というママ。でもそれには「目をボタンにする」という条件があった。
次第に明かされるママの正体。コララインは慌てて元の世界に戻るが、そこには本当のパパとママはいなくなっていた・・・
感想『コララインとボタンの魔女』が怖い理由はこれだ!
コマ撮りで撮られたと思えない、なめらかな人形の動き、豊かな表情。でもやっぱり生身の人間とは違う、無意識で感じ取る人形の動きのぎこちなさが味となって、魅入ってしまう。
ストーリー自体はシンプル。でもこの映画、怖い。いや、冒頭からなかなか雰囲気が不気味なんですけどね。でも、不気味と恐怖は必ずしもセットではない。
それでは何が怖かったんだろう?と思い返すと、やっぱりこれだ。目がボタン、これが怖い。
「目は口ほどに物を言う」なんてことわざがありますが、むしろ、「目は口よりも物を言う」の方が正しいと思わされます。
目の表情と言いますか、目が見えないと感情や本心が全く見えない。この怖さって、ピエロに対する恐怖と似ています。
例え笑っていても、口では優しいことを言っていても違和感がある、信用しきれない。何を考えているのか分からない。分からないものに対して、人間は恐怖を感じます。
普段生活していても感じませんか?笑ってはいるけど、目は笑っていない人とか、サングラスをかけていて目が隠されている人とか。
こういう人って本心が見えなくて何か怖い、警戒してしまう。
そんな深層心理の部分で感じる恐怖をついてくる映画でした。
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結局、ボタンの魔女の正体って何?原作を読んで考察してみた(以下、ネタバレあり)
コララインの目をボタンにして支配しようとする魔女(もうひとりのママ)から命からがら、元の世界へ戻ったコラライン。
スノードームに閉じ込められていた本当のパパとママも、何事もなかったかのように帰ってきます。
扉の鍵を取り戻しに手だけで追いかけてくる魔女を、鍵と一緒に井戸に落として封印。
一見落着となったのですが、結局、魔女の正体は何だったの?とすっきりしない方もいるのではないでしょうか。
僕も気になって原作を読んで読んでみました。
読んだのですが、原作でも魔女の正体については明かされていませんでした(汗)
なのでここからは、僕の考察です。
ラスト、魔女はどう見ても虫のクモでした。魔女の部屋にはクモの巣が張られていましたよね。
で、クモってキリスト教では「邪悪な存在で、罪深い衝動の現れ」とされているようです。
原作では無かった描きかたなので、監督は魔女の邪悪さをクモの姿にすることで表したかったのかなと思います。
それでは、どうして魔女は邪悪な存在になってしまったのか。
原作の中でコララインが「もうひとりのママは、どうしてあたしをほしがるの?」と黒猫にたずねます。
それに対し黒猫は、「たぶん愛する相手がほしいんだろう。じぶんじゃないものが。あるいは餌がほしいのかもしれない」と答えます。
また、コララインは魔女のことを「もうひとりのママは、なにも作り出すことはできない。できるのは、形を変えたり、ゆがめたり、ねじったりすることだけだ」と推測。
そこから、魔女は、愛する相手が欲しいが、自分で作ることは出来ない存在だと分かります。
それで僕は、ボタンの魔女の正体は、子供がほしくても出来なかった女性の執念なのではないかと推測しました。
子供(愛する対象)が欲しい。でも自分には作れない(産む事ができない)。それでもどうしても欲しい、欲しい、欲しい・・・人から奪ってでも欲しい!
だから親に不満を持っている子供を見つけては、甘い罠をしかけて魔女の世界に引きずり込み、本当の親から子供を奪い支配しようとする。
連れ去られた子供達は、魔女の「愛したい」という自分勝手な欲望の餌。
まさに罪深い衝動の現れ
そんな女性の邪悪な執念が魔物化し、ボタンの魔女が誕生したのではないかと考察しました。
そうすると、魔女の住む世界へ続く道って長細くて何というか・・・女性の膣にも思えてきます。
あの道は、魔女の子宮へ続く道だととらえることも出来るんです。
そう思って改めて映画を見ると、切ない話にも感じられます。
「あたなを愛しているわ。だから欲しいものは何でもあげてる。なのに何で私から逃げるの?私から離れないで。離したくない。離れない!」
ラスト、逃げていくコララインへ向かって「お願い、私をひとりにしないで!」と叫ぶ魔女が、何とも物悲しい・・・
それでも最後の最後、「つまらないと思っていた日常が、愛おしいものである」ことにコララインが気づいて終わるのが、心地良かったです。
最後に。スタジオライカは最高です
以上、映画『コララインとボタンの魔女』が怖い理由&ボタンの魔女の正体を考察してみました。
原作者や監督が考えている魔女の正体とは違うかもしれません。
でも、映画は見た人がそれぞれ自由に解釈することが出来るもの。これはあくまで、一個人の解釈です。
ちなみに、『コララインとボタンの魔女』を制作したスタジオライカは、他にもストップモーション作品をいくつか作っています。
どれもこれもストップモーションのクオリティがえげつなくて、最高です。
『コララインとボタンの魔女』が面白いと思った方は、全作品楽しく見れることを保証します。
ほんと、絶対後悔しないから、鑑賞してみて欲しい。
ご参考までに(^^)
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