『ペンタゴン・ペーパーズ』見ごたえ100%、ラストで身震い!ネタバレ感想

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を鑑賞。

歴史が苦手な僕でも理解して見られるか不安でしたが、見るとシンプルでわかりやすいです。

(前半は勢いがありすぎて少し混乱しましたが、後半になるにつれ話はシンプルになってきます)

「報道の自由vs国家権力」というスケールの大きい話である一方、1人の女性の成長物語というテーマもあり、とても濃い内容でお腹一杯。

最初に思ったのが、「日本ではこのスケールの映画は作れないだろうな」ということ。

報道の使命の1つは、「権力の監視」。この映画を見て、「アメリカってすげー国だな」と改めて実感した次第です。

だって、歴代大統領が国民に嘘をついていたなんて事実を映画にするなんて、本当の意味での「自由な国」でしか出来ないことですからね。

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『ペンタゴン・ペーパーズ』あらすじ

1971年、反戦の空気が流れるアメリカで、「ベトナム戦争は勝ち目のない戦争である」ことを示す文書(最高機密文書)の一部が流出し、ニューヨーク・タイムズがスクープする。

それに対しワシントン・ポストのトップ・キャサリンと、凄腕記者のベンは残りの文書を入手し公表しようとするが・・・

感想(ネタバレあり)

報道は国民のためにあるべきで、政府の犬であってはならない。

政府のご機嫌を伺うようなジャーナリストに存在意義はなく、政府が隠そうとする情報こそ、報じられるべきことなんだと感じさせられます。

「敗戦という不名誉」を避けるために、勝ち目の無い戦争を続ける政府。

「ベトナム戦争ではアメリカに勝ち目がない」という政府にとってだけ都合の悪い情報を「最高機密」として、その代償に多くの国民が現地に送られ犠牲になる。

ニューヨーク・タイムズ紙が機密文書の一部を報じれば裁判所からは「指し止め命令」

ワシントン紙が残りの文書を公表しようとするも、「スパイの罪&法廷侮辱罪」で記事を世に出せば投獄されるかもしれないという圧力がかかります。

民主主義のへったくれもないです。さて、今の日本はどうなのでしょう。ほったらとんでもない恐ろしい事実が出てきそうな国です、残念ながら。

スティーブン・スピルバーグ監督は、現代の報道陣が政府の圧力に屈しないよう励まし、喝を入れるためにこの映画を撮ったのだとか。

その制作期間、なんと1年弱。スピルバーグの実力は底なし。

ちなみに、映画で出てくるニクソンの電話のやりとりは、録音された実際の肉声を使ったようで、生々しくリアルになっています。

メリル・ストリープ演じるキャサリンの成長物語でもある作品

機密文書を記事で公開すれば、ワシントン社は存続があやぶまれ、関係者は投獄されるかもしれない。それでも真実を国民にしらせるため、権力に屈せず公表するか?

その最終決断をするのはメリル・ストリープ演じるキャサリン。

しかしキャサリンは、ワシントン紙のトップだった父親の後を継いだ夫の自殺により、思いがけず就任したぽっと出の社長。

徹夜の勢いで仕事にくらいついていたキャサリンですが、「女性である」ということもあり、周りの幹部達には日頃から相手にしてもらえない人物でした。

そのせいか、部下に強く意見をする事もできず、どこか自信なさげ。

それでも会社のトップですから、最終判断は彼女の仕事。

夫から継いだ会社をつぶしたくはない。また、従業員を路頭に迷わせてまで公表すべきか?葛藤します。

しかも機密文書に関係する国防長官とは、長年の付き合いのある友人とも言える間柄。記事を公表すれば、当然国防長官の立場も危ぶまれてしまう。

友人として公表しない判断を下すか、記者として事実を知らしめる判断をくだすか、そんな葛藤も抱えます。

顧問弁護士は「公表はすべきでない」とキャサリンを説得します。一方、敏腕記者のベン(トム・ハンクス)は「公表すべきだ」と迷いがない。

葛藤、迷い、戸惑い。それでも自分の責任で、自分が判断をするしかない。その苦しみを演じるメリル・ストリープの大女優振りを改めて実感する演技でした。

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最後の最後まで葛藤するキャサリン。

それでも、とやかく言う役員に対し「もう父の会社じゃない、夫の会社でもない、私の会社よ」と堂々と言い放ち、「新聞は国民の繁栄と報道の自由のために尽くすべきである」と機密文書を公表する判断を下します。

「もう寝るわ」と場を去るキャサリン。超絶にかっこよく、見ている側もスカッとします。

公表OKの判断が下された直後に新聞が印刷されていくシーンは涙が出そうになるくらい鳥肌が立ちました。

その後、「今後の掲載を一切中止すること」を命令されますが、これにも従わず、裁判にかけられます。

「報道が仕えるべきは国民だ、統治者ではない」

という裁判官の見解で、報道陣が勝利。

最後、「いつもうまくはいかない。いつも完璧ではなくても最高の記事を目指す。それが仕事でしょ?」と言い放つキャサリンの顔は霧が晴れたように爽やか。

ラストの侵入シーンの意味とは?

ラスト、「ワシントン・ポストの記者は二度とホワイトハウスに出入り禁止だ」というニクソン大統領の肉声と共に、民主党本部に何者かが侵入しているシーンで映画は終わります。

これは、後に発覚されるウォーターゲート事件の始まりを意味するシーン。

ウォーターゲート事件とは、ニクソン大統領が再選を果たすために、敵側である民主党の本部に盗聴器を仕掛けていたころが発覚し、大統領弾劾裁判にかけられ、任期途中で辞任したというもの。

そして、この事件を報道したのもワシントン紙だとか。

終わり方もかっこいい・・・悪事を行っているシーンなのに、ゾクゾクしてテンション上がりました(笑)

最後に

「報道が仕えるべきは国民だ、統治者ではない」

「新聞は国民の繁栄と報道の自由のために尽くすべきである」

日本の報道に携わる方、そこんとこよろしくお願いします。

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