『こんな夜更けにバナナかよ』鑑賞しました。
初めてタイトルを聞いたとき、「夜更け?バナナ?何それ下ネタ?」なんて思っちゃいましたが(ごめんなさい)、コメディタッチで大真面目な映画でした。(下ネタもあるけど、バナナは関係ないです)
大泉洋、ほんっとにハマり役です。
大泉洋って、存在だけでコメディチックなんですよね。笑えるシーンも多かったですが、最後はほろり。
切なさ・悲しさは感じず、純粋に感動しました。
自分の中にある無自覚な偏見にも気づかせてもらえた良作です。
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『こんな夜更けにバナナかよ』あらすじ
医大生の田中(三浦春馬)は、ボランティア活動を通じて、筋ジストロフィーにかかり体が不自由な鹿野(大泉洋)と出会う。
鹿野は病院を出て自らボランティアを募り、一風変わった自立生活をしている。
ある日、新人ボランティアの美咲(高畑充希)に恋をした鹿野は、ラブラブレターの代筆を田中に頼む。
しかし、鹿野が恋した美咲は、田中の恋人だった・・・
『こんな夜更けにバナナかよ』感想
映画の冒頭では大泉洋演じる鹿野さんの、ボランティアへの態度にマユをひそめてしまいました。
「水」
「ラーメン」
「新聞」
単語だけで自分の要望をボランティアへ伝え、「お願いします」や「ありがとうございます」という言葉も無く、ボランティアをこき使っているように見えてしまったんです。
「これが、無償で自分を手助けしてくれている人たちに対する態度か?」と思ったのが正直な感想。(あくまで最初だけですが)
そこへ新しくボランティアへ来たのが、高畑充希演じる美咲。
しかし、美咲の目的はボランティアではなく、そこで熱心にボランティア活動をする恋人・田中(三浦春馬)に会いたかったため。
ボランティアへの熱意もないまま、鹿野のわがままに付き合わされることになります。
夜中まで話に付き合わされたり、夜更けにバナナを買ってくるよう言われたり。(タイトルはこれから来てたんですね)
鹿野さんがわがままを言っているようにしか思えない美咲はついに、「障害者だからってわがまま言っていいわけ?」とぶち切れます。
それに対し鹿野さんは、「障害者は人生を楽しんじゃいけないわけ?」と逆切れ。
この時点では、美咲に共感している自分がいました。
障害があるからと言って卑屈になることは無いけど、無償で自分を助けてくれる人達への配慮は大事では?なんて思っちゃいました。
しかし、物語が進み、鹿野さんの熱い心情を知るにつれ、自分でも気づかなかった偏見持っていたことに気づきます。
「人の迷惑をかけないようにと縮こまった生き方じゃなく、迷惑をかけあいながらも人生を謳歌しよう。障害者であれ健常者であれ、そもそも人は他人に迷惑をかけずに生きていけないのだから」
鹿野さんはそんなメッセージを若者に届けたくて、「わがまま」と思われることを恐れず、食べたいものは遠慮なく言うし、人の手を借りて行きたいところにも行くし、惚れた女性への手紙も遠慮なくボランティアに書かせます。
映画を見ているうちに気づくんです。
「ボランティアの助けで生きているのだから、謙虚でいるべきだ」と偏見を持っていた自分に。
人の助けがなければ生きていけないのは、みんな同じなのに。自分の力だけで生きていると勘違いしていました。
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鹿野さんのわがままは、なぜ受け入れられたのか
ただ、障害者であれ健常者であれ、相手のことを全く考えずに自分の思うようにやってもらうのは、ただの「自分勝手なわがまま」になってしまいます。
では鹿野さんのわがままがなぜボランティアの人に受け入れられるのか。
それは、「鹿野さんと一緒にいると楽しいから」「鹿野さんが元気でいてくれることが嬉しいから」なんだと感じます。
鹿野さんの前向きな生き方、ユーモアのある楽しい会話、励ましの言葉に触れることで元気をもらえるから。
それ以前に、筋ジストロフィーにかかりながらも人生を楽しんでいる、その存在だけで人を勇気づけてくれています。
前向きに生きているだけで人に勇気を与えられるって、すごいことですよね。
かく言う僕も、映画を通じて鹿野さんの生きる姿勢に勇気をもらいました。
鹿野さんは人から助けられているだけでなく、自分と関わってくれる人を助けてもいる。だから回りには鹿野さんを慕う人がいたのだと思います。
最後に
鹿野靖明さんという方の実話を元にした映画『こんな夜更けにバナナかよ』
筋ジストロフィーにかかりながらも前向きに、自分をさらけ出し本音で人生を謳歌する鹿野さんの生き様に、励まされない人はいないと思います。
鹿野さんの生き方に触れると、自分の人生を卑下する理由が無くなります。
人生を楽しもうと腹を括れば、どんな状況でも人生を謳歌できる。そう強く励まされます。
生きるのに悲観的になった時にまた見たい映画です。
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