性同一性障害でftmの僕が言われて(個人的に)1番傷つく言葉

生まれて30年。

女性として生まれながら心は男性。(今はホルモン治療&胸オペでだいぶ生きやすくなりました)

ちょうど僕が中学・高校あたりからドラマなどでも取り上げられるようになり、今では「性同一性障害」という言葉を知らない人の方が少ないのではと思います。

ftmに対する考えは本当に人それぞれ。

僕が性同一性障害という言葉を知った中学生の頃、テレビニュースの街頭インタビューで、ftmの存在を「気持ち悪い」なんて回答している人を画面越しに見て傷ついていました。

(今は全く気になりません。というか、そこまで無理解な人に最近出会ったこと無い)

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そんな言葉よりもっと傷つく言葉があります。その言葉は、「かわいそう」という言葉。

「体と心の性別が違うなんて苦痛だろう、かわいそうに」というニュアンスです。

この言葉、ftmに限らず、何かしらのハンデを持って生まれた人に対して言われがちです。

一見、相手を思う優しい言葉に思えるかもしれませんが、僕はかなり傷つきます。

「かわいそう」と言われて感じた悲しさ&惨めさ

この言葉、僕が大学生の頃、仲の良い同級生と帰りのバスの中で話していた時に出た言葉でした。

僕はまだカミングアウトはしておらず、というか一生カミングアウトせずに頑張って女性として生きていこうと思っていた時期です。

だから、その同級生は僕がftmであることは知りませんし、感づいてもいなかったと思います。

そんな同級生の卒業論文のテーマが、なんと「性同一性障害」でした。

だから、自然と性同一性障害の話題になったことがあり、あくまで僕は非当事者としてその同級生と話していました。

(「カミングアウトしたら、当事者として力になれるだろうに」なんて思いながらも言えるわけがなく・・・)

で、その時に同級生の口から出たのが、「なんか、(性同一性障害の人って)かわいそうだよね」というフレーズ。

この瞬間、ものすっごい傷ついて落ち込んだのを覚えています。今までで1番傷ついた言葉でした。

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感じたのは、悲しさと惨めさ。

「かわいそう」って言えるのって、完全に他人事だからなんですよね。当事者の苦しみに寄り添おうとする気持ちは全く感じられず悲しいです。

むしろ、「自分や家族がそんな風に生まれなくて良かった」ぐらい言われたように感じます。

「そうか、自分は世の中でかわいそうと思われるような弱い存在なんだな」という惨めに思う気持ちも。

いや、そりゃあ関係ない人からしたら他人事。仕方無いです。他人の問題まで相手の立場になって同苦してたら精神がもちません。

もちろんその同級生は、僕がftmだと知っていたら、当事者相手にかわいそうなんて言わずに親身に相談に乗ってくれていたと思います。

前を向いて生きている人に「かわいそう」な人なんていない

ftmに限らず、何かハンデを持って生まれた人たちも、一生懸命生きています。

葛藤だったり悔しさだったりは多いかもしれないし、時には死にたくなることもある。それでも幸せに生きて最後笑って死ねるよう、日々闘っています。

乗り越えようと前を向いています。

そんな人間に「かわいそう」なんて言葉は失礼です

僕は、この経験から、大変な思いをしている人を見たり聞いたりしても、「かわいそう」とは思わなくなりました。

とにかく、必死に生きていることを讃える気持ちになります。「僕も頑張る、君も頑張れ」そんな気持ちになります。

でもそれは、今の時代を生きる人すべてに対しても思います。

「普通」と言われる状態で生まれた人だって、生きていれば悲しい事・辛いこと、あると思います。それでも良い人生にしようと毎日生きてますよね。

前を向いて生きようとしている人の中に、「かわいそうな人」なんていないと思います。いるとしたら、自分の人生を諦めてしまっている人

そういう本当の意味で「かわいそうな人」を1人でも減らすために、励ましあって、助けあって生きていきたい。僕はそう思います。

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